生活

 今度こそ理想に近い物件を探しあてたのではないか、と思っていた四度目に入居予定の部屋は洗濯機置き場がよくなかった。置き場所がベランダなのは構わない。居候中の実家も洗濯機は屋外だし、洗濯機カバーという便利グッズがあることも知ったし、だいたい買ったのは容量が5キロもない安物だから、二年保てば御の字だ。だから洗濯機の劣化がはやいとかはもうこの際気にしないのだけれど、排水については気にせざるを得ない。排水口とおぼしき穴が見あたらないことには薄々気づいていたのだが、給水用の蛇口がある以上はどこかにはあって、業者さんが設置するときにうまいことやってくれるだろう、と楽観していた。実際、業者さんは排水口を見つけてくれた。それは隣のベランダにあった。排水ホースはベランダの溝に向かって放り出されている状態だ。

 

 思えばこれまでの物件でも、洗濯機の排水ホースを順調に設置できたことはなかったのだった。いちばん最初のワンルームではエルボがなかったかホースのサイズが合わなかったかで「まあたぶん大丈夫でしょう」と排水口に直接ホースをぎゅうぎゅう押し込まれ、何しろひとりで暮らすのが初めてなのでめちゃくちゃ不安だった(大丈夫だった)。次のファミリータイプの2DK(私が暮らしたなかで今のところ最もスペックの高い部屋)もエルボが使えず、電気屋さんを呼んでホースを排水口にビニールテープで固定してもらった。やはり不安だった(大丈夫だった)。その次の木造アパートも、経緯は忘れたがなんだかうまくいかず適当にホースを排水口に直で突っ込んでいたような気がする(さすがに慣れてそれほど心配もしなかったし、大丈夫だった)。
 そういうわけで洗濯機の排水にはこれまでも散々ハラハラさせられてきたのに、またしても確認を怠ってしまったことを後悔しつつ、しかし今回の心配は今までの比ではない。だってお隣へ洗濯排水を垂れ流しって、そんなのいくらベランダでもありなのか……? せめて逆で、うちのベランダに隣家の汚水が流れてくるほうがまだ幾らかマシだった。排水口は私の管理下だ。
そうでなくても狭い部屋に溢れる本の収納とか、もはやプランがありすぎて混乱するインターネット及び衛星放送の回線の手配とか、解決しなければならないことは幾つもあるのだが、それらすべてを凌駕して洗濯排水問題は私の脳内を占拠した。不安で居ても立ってもいられず「洗濯機 ベランダ 排水口 隣」などで検索しまくったが、余計に不安になるような情報しか得られなかった。ああベランダで洪水が起きてしまったらどうしよう。

 

 そんなことで頭がいっぱいでひとの話もうわの空で聞き流しながら仕事をして、昼休み、「組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律等の一部を改正する法律案」が衆院法務委員会で強行採決されたというニュースを見た。安保法案につづいてまた強行採決。たぶん異常なことで、たぶんおそろしいことだ。この国の体制は民主主義、立憲主義のはずだったのに、力ずくでどんどん物事がすすんでしまう。きっとこういう流れを、市民が「またか……」と思いながらもどうすることもできずにいるうちに、ナチ政権はホロコーストを引き起こしていたのだろうな、とすら思う。
 憲法も変わってしまうのかも知れない。
 日本国憲法について教わったのは小学六年生のとき、中学受験のために通っていた塾で習った。イデオロギーではなく入試に勝つ手段として、前文と一条と九条と十四条と二十五条を暗記させられた。憲法を改正するための手続きについてもこのとき学んだ。幾重にも厳重に鍵がかけられた金庫のような、これだけの守りがあるならそう簡単には改悪できまい、少なくとも私が生きているあいだは大丈夫だ、と思ったが、同時に、ここまでしないと危ないものなのか、という不安も過ぎった。
 憲法が変わってしまったらその時こそこの国から逃げるときだ。そういうことも、この十年くらいは思っていた。

 

「その時」はおそらく近づきつつある。
 けれど私は、新しい部屋を契約して、洗濯機の排水のことで頭がいっぱいなのだった。目下、洗濯を無事にできるかどうか以外のことを、考えられずにいる。

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