詩を「読む」ということについて

 先日のBL短歌オフイベント、おかげさまで盛況のうちに終了しました。お越しくださった方々に心より御礼を申し上げます。
 当日お会いしたりお話したりしてくださったみなさま、東京からご一緒した共有結晶メンバーにもほんとうにお世話になり、ありがとうございました! とても楽しく、刺激的な時間を過ごすことができました。会場の文学バー・リズールさんには今度ゆっくりお邪魔したい……

 イベントの具体的なようすもお知らせしたいのですが(鳥居さんの朗読とかすごかった)、このイベントでプレゼン発表をするにあたって考えたことが、少し前から考えつづけていた「読み」の問題と私の中でつながった、ように思ったので、そのことを少し書きます。

「詩を読む」ということについて考えるとき、いつも思い出すのは、大岡信の「マリリン」という詩をはじめて読んだときのことです。
「マリリン」は題名のとおりマリリン・モンローについての詩で、私は中学生だったと思います。マリリン・モンローのことは名前と顔、女優で、自殺したらしいこと、という程度の知識しかありませんでした。
 

見渡すかぎり水面を覆い
ただよっている
フィルムの屑
その散乱する乱反射が
血友病のハリウッドを
夜空に浮かびあがらせる


 いま、この文章を書くためにあらためて読みかえすとほんとうに全編が美しく、とくにこういう一節にハッとしますが、私がずっと記憶していたこのは詩の最後の三行と、その鮮烈な印象だけでした。
 

マリリン
マリーン

ブルー


 こうして抜き出してしまえば他愛ない言葉遊びでしかないようなこの三行を、何十行も連なる長い詩の最後にたどりついて読んだとき、目の前にばーっと青い海が広がった。
 ものすごく衝撃を受けました。詩ってこんなことができるんだ、言葉だけで、こんな海を見せることができるなんて、魔法みたい、ほんとうにすごい!! と思って涙が出た。いまでもあのとき見えた海は同じ鮮烈さで思い出すことができるし、思い出すと涙ぐんでしまいます。
 私はもちろん全文を読んで(全文を読まないと、最後だけ読んでも海は見えない)感動したのですが、すでに書いたように予備知識もなかったし、書かれている言葉のひとつひとつだってぜんぜん理解できていませんでした。たぶん、今だってきちんとわかってはいない。でも「解釈」できていなかったからって、私は「マリリン」を読めていない、とはなんだか思いたくない。私はあの詩から、言語化できない透明な悲しみのようなもの、なにかとても深い感情は受け取ったからです。
 なによりあの海の青が見えた。

 で、今回、BL読みプレゼンをするにあたって、人前で話すためには「なんかとにかく萌え!」という印象だけでなく、短歌をひととおり読み解いておいたほうがよいことに気づき、あらためて辞書片手にきちんと意味をとろうとしました。
 

ギグ果ててヴォーカルの喉愛しぬくギター底より静寂(しじま)を犯す 黒瀬珂瀾


 これ、一読して「うわー!! ヴィジュアル系!! エロい!!」と思った大好きな歌で、もう暗唱できるほどにしたしんだ歌なんですが、一語一語を「正確に」意識しはじめたら、ん? となってしまった。
「底」ってどこのことだろう? ギターの「底」?「ヴォーカルの喉愛しぬくギター」っていうのは、ヴォーカリストとギタリストと読んでもいいと思ってたけど、楽器としてのギターと読むのが正解なのか?「ギグ果てて」なので、ライヴは終わっているんだろうけど(静寂だし)……その「静寂を犯す」ってどういうこと? ライヴ中にヴォーカルをいとおしむように鳴っていたギターを、ライヴ後の静寂をやぶるようにかき鳴らしていて、その音が底(ギターの、あるいはその空間の)から立ちのぼっている……?
 ……こういうふうに考えていくと、私が最初にこの歌を読んだときに浮かんだ光景、ヴィジュアル系のライヴで何度も見てきた、ヴォーカリストを肩に凭れさせながら愛おしげに弾いているギタリストや、熱狂、素直な感動などがどんどん抜けていくような気がしました。なんだか、詩を国語のテスト問題で解かされているような、とても窮屈な感じがして、こういうことを続けていったら私は短歌を嫌いになるだろう、と思った。
「正しい読み」「正確な景」がはっきりわからないから、この歌はプレゼンから外そうかとも迷ったけれど、私が黒瀬珂瀾氏の短歌に出会って最初に好きになった歌のひとつだったのでやはりどうしても紹介したくて、私が感じたままでプレゼンしてしまいました。それがよかったのどうかはわからないけれど、この歌のもつ問答無用のカッコよさは手渡すことができた、ように思います。

 短歌に対して圧倒的に勉強不足なままこういうことを言うのはよくないのかも知れないけれど……なんていうか、正確さとか筋道みたいなことにとらわれすぎて読むのは、私は面白くないなあ、と思ってしまいます。ただただ言葉を眺めていることを許してほしい。

 まだまだ勉強しなければいけないこともたくさんあるし、考えていることもまとまってるわけじゃなくて、途中ではあるんですが、自分のための覚書きも兼ねてちょっと書いてみました。
 BL短歌に二年ぐらい前から関わって、やおい・BLとジェンダーのこと、それから言葉、表現や詩性ということ、などなど、今までもひとりでぼんやり興味を持っていたことごとを改めて話し合ったり、言語化して発表したりする機会をたくさん持てるようになって、それは私がずっとやりたかったことであるし、この道はずっと行きたいと思っている場所へ続く道のような気がしています。
 今後もBL短歌はつづけていきたいです。
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